書き留めておきたい感覚
もの凄い感覚だ。
これが正に"燃え尽きた"感覚なのだろう。
2020年12月25日、僕のバンドの企画ライブがあった。
結果から言えばかなり悔しい内容だった。
生活の全てを捧げて、全力疾走で駆け抜けたが、あまり実りのある内容ではなかった。
まあ、これが今の僕らの実力なのだろう。
さて、終わってみればどうだ。
全身の細胞が散り散りになってしまったか。意識を統一することができない。
特にやりたいことも思い浮かばないし、やる気も起きない。バンド関係もその対象外ではない。
正に燃え尽きた。
心の蝋燭立てには蝋燭すら存在していない。
火が起こる要素すらない。
今はこれでいいのだと思う。
2021年から、再び魂の蝋燭を点火し、その気にならなくとも無理にでも、歩き出そう。
今、あの言葉を思い出す。
「このまま誰も見向きもしてくれないかもしれない。応援なんて全然もらえないかもしれない。でも、一生懸命頑張って、私たちがとにかく頑張って届けたい。今、私達がここにいる、この想いを。」
僕はまた、何度でも自分の手で心に火を付ける。
「誰の価値観も観たくない」という話
人生ずっと他人に振り回されるーーーー。
現実世界での人付き合いに疲れて、SNSやインターネットに逃げても他人に気を遣う羽目になる。
正義思想が強いだか何だか知らないけど、他人に強要しないでくれ。
チョモランマトマトの歌詞で「誰の価値観も観たくない」というのがあるが、最近その歌詞が頻繁に頭に浮かんでくる。
やれ、あれをしたらあの人が嫌がる、これをしたらこの人に怒られる。
こんな配慮やら気遣いやら、はたまた保身的な行動を、何故他人に左右されながらしなければならないのか。
いつも謝っているのは自分ばかりだし。
こんなことを続けていたら本当にストレスで死んでしまう。
しばらくSNSから離れようと思う。
さようなら人類。さようならソーシャルネットワーク。
最高純度の生き物でありたい
僕はどうしようもなく音楽が好きだ。漫画が好きだ。
しかし、なんでも良いわけではない。
僕はこれまで素晴らしい音楽や漫画に人格を形成されてきた。
SKET DANCE、魔法少女まどか☆マギカ、物語シリーズ、セキレイ、月曜日の友達
銀杏BOYZ、ハヌマーン、Galileo Galilei、μ’s、ナンバーガール、志磨遼平、the cabs、People In The Box、神聖かまってちゃん、エトセトラ… 全て10代のころに多大な影響を受けた作品や人物たちだ。これは一部に過ぎない。
これら全ての創作物は、最高純度であった。
雲で覆われた、白く透き通る曇り空のような。
雨上がりの、草木や土のにおいのような。
寂れた自動販売機から出てくる、冷えた炭酸飲料のような。
誰も使っていない、日陰の非常階段のような。
世界の隅っこでキラキラ光り輝いているような。
そんな最高純度に恋い焦がれて、影響を受けて、私の人格は形成された。
そんな人格を、私自身とても気に入っている。
純愛、平和、友愛、青春、一見綺麗ごとの様な、そういった大人になる過程で消えていく偶像を、いつまでも忘れられず、繋ぎ止めるように。音楽や漫画を摂取している。
そういった綺麗な事物をいつまでも、何があっても信じ続ける。
私にとってそれが“強さ”だった。
最高純度の魂を持ち続けて、時代のろ過装置の最後の最後まで残る。
私の大好きなキャラクターや人物は、その魂で世界を、人々を、唯一人を救ってきた。
私もそういった人間でありたい。
自転車で悔し涙を流しながら駆け抜けた若さを。
何にもないようで、あまりにも輝いていた若さを。
石ころみたいな綺麗ごとを。
そういった、大人になる過程で捨てていくものを、何度も拾いなおして。
“強さ”を目指しこれからも変わらず生きていく。
いつか、僕の最高純度の魂が、世界を、人々を、唯一人を救えるように。
信じ抜いてみせる。